2013年12月21日土曜日

「Stuttgart物語」 ~未来への音 ~ お披露目ライブ    *その2*



 ピアノの鍵盤下のにある枠板の裏に書かれた『皇紀〜」の記しを西暦に換算すると、このピアノのお誕生は12月18日。お誕生日には遅れますが12月21日、今度はピアノと遊工房に縁のある方々に祝って頂こうということで、2回目のお披露目会が行われました。
楽器は鳴らしてこそ楽器。興味のある方にどんどん弾いて頂こうと、自由で賑やかに行われました。

この日一番乗りでお越し頂いたのは、このピアノの前持ち主のご子息Aご夫妻。ご主人様は、ご趣味でピアノを弾かれます。いや〜、すごいですよ、なかなかの腕前。
開演前から、レパートリー曲を次々とお弾きになります。側で奥様が熱心に聴いておられます。弾く人がいて、聴く人がある。芳醇な時間がか、静かに過ぎて行きます。



そして開演、今日は参加の日、アライも短く即興演奏をご披露させて頂きました。
このピアノの修理に当った斎藤雅顕さんに、このピアノの生い立ちなどについてお話を伺いました。


お話によると、一昔前はピアノは古くなったら買い替えるものだと言われ、当然そうだと皆が思っていました。
でも本当は、楽器は修理すれば長い間演奏に耐えられるもの。今では修理して使う、という考え方にシフトしつつあるそうです。

現在、「ピアノ買い取ります」という業者が増えています。買い取ってどうしているんでしょうか?修理してヨーロッパへ輸出しているのだそうです。ウシではありませんが、中古ピアノが売られて行くのです。

ヨーロッパでは中古でピアノを買う事は珍しくありません。中古のピアノを集め職人さんが修理し売る、ということをごく普通に行っているそうです。小さな工房で作られたものが沢山あり、値段も高い。
日本の量産体制で作られたピアノは、品質が良く値段も安いので、よく売れるのだとか。ピアノも古いからと言ってすぐに買い替えるのでなく、修理して末永く使ってあげてください、というのが斎藤さんの結びの言葉でした。

お話が終わり、さあここからはご自由にと、ゆるゆると忘年会へ移行。グラスを片手にピアノの傍らで楽器についての会話が広がります。



アライが弾いている途中で「アぁ〜〜〜」と一緒に歌ってくれた赤ちゃんの、お兄ちゃまがイスに座りました。最初は照れて、一本指でぽんっ!ぽんっ!と遠慮がちにやっていますが、そのうち大胆になり、バンッ!と来ました。
楽器を目の前にして音が出したくてドキドキしていたのでしょう。ピアノを見ると弾きたくてたまらなかった「あのころ」を思い出します。




そうこうしているうちに、知らず知らずのうちにピアノが鳴り出します。ええ、やっぱり弾きたい人はいるもんです。80歳のピアノの音なら、聴いてみたくなります。ポロポロと鍵盤に触れる音が聞こえ、ジャズの断片が一瞬弾み、楽しく連弾する音も聞こえ、用意した数本のワインもどんどん減って行きます。



80年間、様々な持ち主さんの生活と共にあったピアノ。夕刻に歌う人の声に寄り添い、時には聖歌を奏で、またある時にはアーティストのオブジェとなり、様々な人生と歩んで来たピアノ。これからもきっと、今までと同じ様に時を刻んで行くのでしょう。何も特別な事ではないこの「今」の積み重ねが、大切な「その時」になって行くのだと、ピアノが語ってくれている様に思います。


2013年12月14日土曜日

「Stuttgart物語」 ~未来への音 ~ お披露目ライブ    *その1*


 とうとうやって来ました、修復の終わったピアノのお披露目会です。
ピアノのお誕生月に合わせて、生まれ変わったピアノの音を皆さんにご披露しようと、コンサートとパーティーを企画する事となりました。

12月14日にはコンサート、21日には遊工房の忘年会も兼ねて関係者の方々にお集まり頂き、興味のある方はピアノの試し弾きもできる、という志向にしました。

さて14日、会場設営に遊工房へ行くと、ありますあります、蘇ったピアノが!
ボディーの古い塗装が剥がされ、明るい茶色になっています。
中をのぞくと、弦が新しいものに張り替えられ、ピンを差し込むピン板も新しいものに付け替えられ、ヒビの入っていた響板も修復完了。演奏が可能な状態になりました。


弾いてみると…18世紀の、ピアノの初期の頃の様な、チェンバロにも似た音がします。
鍵盤のタッチが意外にも手の感触に細かく敏感に反応します。指先を早く少しだけ動かすと鋭く乾いた音が出、指の腹でむんずと掴むとやわらかく厚みのある音と、力の掛け具合に細かく反応します。

まだ弾き込んでいないのでこのピアノの音が決まった訳ではありませんが、現代の新しいピアノよりも、高・中・低音域の音域による音色の違いが大きいように感じました。
例えば、バッハの曲を弾いていて、曲中で弾く音域が移動するとそのまま何もしなくても音色が変わり、表情が変わります。今のピアノは、どの音域もムラなく均一に音色が揃う様に作られているので、変化の付け方に工夫が必要です。楽器を製作する時の考え方が違う様に感じられます。


さて演奏、ピアニストの新井陽子、ダンスの木村由(きむらゆう)さん、ギターの野村雅美(のむらまさよし)さんの三人の即興演奏。修復に当った斎藤雅顕さんにも駆けつけてくださり、多くのお客様に恵まれて、遊工房のギャラリースペースが奥深い音の森に変貌したのでした。



2013年11月19日火曜日

11月19日、茂原の工房で修復中のピアノに会う。

 日差しは温かいとは言え、吹く風が冷たい!と思う様になった頃、いよいよ修理の本拠地である茂原の斎藤さんの工房へ、修復中のピアノを見学に行って来ました。
都会の喧噪を抜け、車窓に昔話に出て来る様な紅葉した山や林と小さな木造の家が見える様になると、茂原の駅に到着です。駅から来るまで少し走った所に、斎藤さんの工房はありました。



ご挨拶もそこそこに、一見何の変哲も無い普通の事務所の建物の中へ入ると、!!。
海です。波です。ピアノの!


国産のピアノから海外のものまで、ありとあらゆるピアノが部屋の中に所狭しと並んでいます。今ではもう無くなってしまった国内有名メーカーの古いピアノや、オーストリアの小型のグランドもあります。引っ越しでもういらないからとか、邪魔だから引き取ってくれだとかでやって来たピアノ達が、こうしてまた再び音を鳴らす時を待っているのです。なるほど、斎藤さんはこうして密かに宝の山を作って、ニコニコされているのだなとわかりました。


さて、これ↑が私たちの「stuttgart」、修復中です。
外側のハコを外し、響板部分を修復し、乾燥を待っている所です。左上の方に側板が付いたままになっているのが見え、アップライトピアノの姿を彷彿とさせます。

弦を留めるピン板もバラバラに割れていたそうで、これも交換してあります。ピン板は、弦の張力を支える為にピンがしっかりと留まらないといけません。新しい板は、木目の縦板と横板を交互に何重にも張り合わせ捻れにくくした合板を使っているそうです。こんなに分厚いんですね。


「ピアノは消耗品」と誰かが言っているのを聴いたことがありますが、それは大きな間違いであることを、このプロジェクトを通じて目の当たりにする事ができました。ピアノだってヴァイオリンの様に、手の施し様も無い程にまで痛んでいなければ、いくらでも再生可能なのです。

使ってあるネジ類はこうして元の場所が分かる様に保存してあります。

始めは横浜で海外から来て日本に居留した人たちを相手に売られていたピアノも、量産体制を整え、安く、数多く売る事で日本の学校や家庭に置かれるまでに普及しました。
70年代は日本経済の高度成長に伴いそれは益々加速され、女の子のいる家庭には(!)大抵1台ピアノがある程までになりました。が、その結果はどうだったのでしょうか。

捩れの出てしまったフレームも、ピアノ本体から外しこの様に寝かせることで
捩れを取ってまた使える様になるそうです。

ある海外有名ピアノメーカーの工房で働く技術者達のドキュメンンタリー映画を見たことがありますが、その中の1シーンに、新しいグランドピアノを家へ大感激で迎える家族の姿がありました。その家庭の少年の弾くピアノはまだまだ拙いものですが、彼を取り囲んで家族全員が音楽に耳を澄まし、感極まったお母さんがハンカチを目に当てるという、感動的なシーンでした。

「stuttgart」は再びどんな音を聴かせてくれるのでしょうか。修復が終わり、遊工房へ迎えられる時が楽しみです。

白鍵の表面に張るプラスチックの板です。
これはハンマー。音域によって大きさが違います。



2013年7月31日水曜日

巻き弦製作工房へ見学に、浜松へ!


7月と言えども、暑い。とにかく暑い夏が始まっている。そんな中、低音弦の巻き弦を手作りしている浜松の工房を、斎藤さんのご案内で訪ねました。

で、なぜ「巻き弦」を作る必要があるのか、というお話。
ピアノのフレームに張る低音弦は、”stuttgart"のフレームの幅に合わせる為に、弦をオーダーメイドにする必要があります。中音域から高音域は、ピアノ線1本で済むので弦の長さを自由に取れますが、低音弦は質量を上げる為に弦を太くする必要があり、そのため、ピアノ線を芯にしてその外側に銅線を巻き付けて太くします。お宅のピアノの中を覗いてみてください。左の方はオレンジ色(すごく錆てると茶色になっている!)っぽい弦が張ってあるのが見えますね?
これです。

銅線は、上下の弦を引っ掛ける所を除いて巻いてあります。音の高さによって巻き付ける銅線の太さが違うので、弦の太さも変わって来ます。また、弦の長さも、弦を張るピアノのフレームのサイズによって違います。

工場で量産されているピアノは、メーカーにもより自社で銅線を巻く機械で作っている所もあるそうですが、斎藤さんのお話では、芯に銅線を巻き付ける強さで微妙に音色が違うそうで、手で巻いた方が音が豊かになる、とのこと。
そういうわけで、”stuttgart"の低音弦作製現場を見学しに、工房のある浜松へ行くことになったのでした…

青い空、白い雲、緑の田園、照りつける日差し。
茶畑の山間を抜け湖を左に見ながらしばらく走ると、家々の姿が見え始め、工場の煙突や建物の看板が増えて来ます。
浜松駅周辺のビル群が遠くに見えて来たら、もう浜松。


市内へ入るとさすが浜松、日本のピアノの歴史を担って来た場所だけに、こ〜んな看板もある!

街の賑わいへ繋がる大通りから、小道へ逸れて右へ左へと奥まった所に、槙の垣根に囲まれた小さな工場はありました。斎藤さんのお話では、日本ではもう3軒しか残っていない、手巻きの弦を作っている工房のうちの一つです。
日陰の無い町中からやっと建物の中へ、ご挨拶も早々に、この工房のご主人、富田さんご夫妻のご案内でみんなは工房へと向かいました。



右側に置いてある横長の機械は、手で弦を巻くための機械、その奥にあるのは自動巻きの機械。手前側の棚には、束ねられて太い房の様になった錆びたオレンジ色の低音弦がかけてあります。こちらの低い棚には、ピアノ線に巻き付ける銅線が、糸巻き状態で箱の中に並べられている。一つ一つ太さが違います。

その奥には、弦の引っかけ部分になる輪っかを創る為の機械が置いてあります。これらの機械は皆、この工房のご主人である富田さんが試行錯誤で創ったり調整された、作業専門の機械なのだそうです。手前に鉄製の長いパイプが何本も積み重ねておいてあります。と、よく見るとその鉄パイプにしめ縄が渡してある…。


左手奥の棚には、芯になるピアノ線が丸く巻かれ紙に包まれたチーズの様な状態でストックされています。芯になるピアノ線は、その断面ができるだけ真円に近い方が良いのだそうです。材質・精度共に吟味された、輸入物だそうです。これを弦に加工する際は、包みを開けて拡げたピアノ線をまず真っ直ぐに伸ばし、先ほどの鉄パイプの中にストックしておく、ということなのだそうです。

さて、富田さん、斎藤さんに一通りをご案内して頂いてから、では実際にやってみましょう、ということで富田さんがピアノ線を1本取り出しました。
まず右から左へ、芯になるピアノ線を機械に咬まし、横に張ります。巻き弦となる銅線の張り始め位置を慎重に決め、銅線をくくり付けます。

機械のスイッチを入れると、カシャン、と小気味よい音がして機械が動きだし、芯となる弦が「自転」し始めました。富田さんはすぐ様、中腰で慎重に銅線を引く体制を取り、銅線がきれいに巻かれて行く様に注意しながら、ゆっくりと右へ移動します。その集中力とポーズは、まるでスポーツ選手の様。見ている皆もじっと固唾をのんで見守ります。
この作業は、銅線の引っぱり具合(=芯となるピアノ線への圧着具合)と、巻きの幅によって音が変わって来るのだそうです。

1分も経たない間に1本の巻き弦が完成しますが、実に微妙な感覚と経験が物を言う作業。ピアノという楽器は、鉄の鋳造や木工の技術、力学的な探求から編み出されたアクション部分など、様々な技術の集大成なのですが、弦を一つ取ってもこんなに繊細で丁寧な感覚が応用されている事に、認識を新たにしてしまいました!この作業を次の世代へと受け継ぐ人は、残念ながらまだ見当たらないそうです。

なかなか見る事のできないであろう楽器の真相に迫る作業の一つを見学し、一同静かな興奮覚めやらぬうちに富田さんに別れを告げ、再び浜松の町へ繰り出しました。
向かうは、浜松市楽器博物館。
浜松へ来たら、ここへ来なくてどうする!というくらいの、古楽器から民族楽器まで、とりわけ鍵盤楽器の著しいコレクションのある博物館です。

ヤマハの初期のオルガン、松本楽器のグランドピアノなどもあり、今回は斎藤さんというご専門の方の解説付きで、お陰様で贅沢な博物館巡りができました。
1台のピアノの修復から始まった旅は、一歩一歩が貴重な体験。深い印象を刻みながら、進んで行きます。

2013年6月19日水曜日

「弦外し」の日!

きょうは修理の取っかかり、「弦外し」の日です。
初夏の風心地よい日、見学に集まった方達の中に、このピアノが遊工房へ来る前の持ち主であった方のご子息ご夫妻がお見えになりました。旦那さまは趣味でピアノを弾かれるそうで、弾きたい気持ちが鍵盤の上にかざした右手でわかります。


さて、ピアノがお家にあった当時のお話など伺っているうちに、気がつけば見学の人たちも集まり、自然とワークショップに入って行きました。



今日は斎藤さんのお手伝いでやはりピアノの修復のお仕事をされているAさんも加わって、作業は行われました。
まずはピアノを壁際から部屋の真ん中へ移動。



現在作られているピアノよりもずっと軽そう。弦を張ってあるフレームが細いし、ハコの木材も乾いて古くなっているからでしょう。ギャラリーにレジデンスで滞在していたアーティストが展示にピアノを利用してできた傷跡も、このピアノの味わい深い姿の一部になっています。


前板を外し、アクション部分を外し、鍵盤も外すと、斎藤さんとAさんは弦を何回かに分けて少しずつ緩めて行きます。
そして全体を完全に緩め終えると、高音部のピアノ線だけの部分は何のためらいもなく弦をパチンパチンと切って取り、巻き弦になっている低音部の弦はピンから外し順番を間違えない様にワイヤーに通してまとめて行きます。
















さてそんな風にして出来上がりました、アクション部分や鍵盤、ピンや弦も無い、フレームとハコだけになったピアノ。こんな光景は普段はあまり、いやほとんど見られません!アップライトピアノをプリペアドする為にアクション部分を外して大々的に弦に物を挟むピアニストはおりますが。


こうしてフレームの曲線や駒、ブリッジの並んだ姿も美しいですね。

そしてこれからどうなるのかというと、まず外した低音部分の巻き弦をこのピアノに合うものにする為に低音弦を製作している工房へ特注します。ピアノ本体は、フレームの外からピンが打ち込まれる裏側の木がどういう状態なのか調べ、状態が悪くなっているだろうから木を新しいものに取り替えるとのこと。低音部分の弦の下の方の駒も割れているので修理が必要だそうです。


さて、弦を外す事自体は至って単純な作業で終わりましたが、そんな過程を見るのは初めてのこと。全ての弦が外され、シンプルな姿になったピアノを、斎藤さんとAさんでトラックに積み込んで、修復をする工房へ運びます。

感慨深げに見入っていた参加者の目をよそに、淡々と作業を進めて行く斎藤さんとAさん。まずはピアノを毛布で覆い、ベルトで固定。ウィ〜ん、と荷台のリフトが上がると、オーナーの村田さんがそれを切なそうに見つめている。長い間共に生活の場にあった愛着のあるものが、一旦手を離れるのです。



物にも歴史あり。手にして来た人たちの思い出が宿っている。でも、思い出だけではなくこれからも楽器として活躍する為に、色々な人と関わり合って行く為に、少しの間お家を離れ入院、手術を受けるのです。このピアノがどんな風に蘇るのか、しっかりと見届けて行きたいと思います。

2013年5月18日土曜日

ピアノ再生プロジェクト始まる!

斉藤さん車渋滞で約1時間遅れでご到着、入って来るなりピアノを開け始める。
見るのを楽しみにしておられた様子。

アクション、鍵盤を外し、フレームがよく見える状態になる。
フレームの形、フレームを固定してあるボルトの形から、ドイツ製のフレームではないか、とのこと。



自分の制作するピアノに思いを託した制作者は、ピアノの部品のどこかに自分の名前を残すと言う。大抵は「ゲタ」と呼ばれる鍵盤両脇の箱形の木の裏にあるそうだが、これにはない。
さてどこだろうか…と鍵盤のはまっている枠の下にある木枠をひっくり返すと…


ありました。
「横濱ピアノ工場鍵盤部作製(横浜ピアノ鍵盤部印)  [第弐号]
  貳千五百九十四年十一月十二日」
の記述が。

「貳千五百九十四年」は皇紀だろうか?だとすると、西暦になおすと-660年で1934年、昭和9年となる。「十一月十二日」が旧暦だとすると、12月18日である。
斉藤さんのお話では、「横濱」と明記されているのは非常に良い判断材料になるそうだ。

その当時、横浜にあったピアノ工場は3つ程で、西川、シューピアノ、リーピアノで、フレームが少し浮かせて取り付けられている様子から、これは西川で制作されたのではないか、とのことだ。「プリマトーン」名のピアノを作っていた工房の可能性もあるそうだ。

アクション、フレームはドイツ製のものの様だが、鍵盤は日本で作られている。
鍵盤の切り出し方、象牙の質・張り方は非常に丁寧、とのこと。
ただ、鍵盤の材質については、現在では木目が切り出し口に7本以上出ているものを使用することになっているが、これは5本ぐらいしか無いものを使っている。

木材を寝かせて乾燥させる、など当時では行われず、1980年代に入ってから乾燥技術が取り入れられるようのなったそうだ。なので、初期のピアノでアメリカに輸出されたものなどは、現地の乾燥でバラバラになり不良品として戻って来たそうだ。

アクション部は、シュトゥットガルトに工場のあるレンナー制作のもの。商標に、「1884 Lenner 1934  50周年記念」とある。アクション部分も当時のものとしてはきれいに残っている印象がある。


共鳴板も目が詰んだ木材を使用し、非常によくできているそう。外身のハコに関して言えば、このスタイルは1920年代ドイツのものを真似てあると言う。

修理の必要な点として、
・反響版:継ぎ目の割れを、薄く削った木片で繋いで補修する
・ピン版:割れていると思われるので、交換する
・低音部下のコマ板:割れて修復した跡がある。割れ目から歪んで右へ少しずれている。交換する。
・ハコ:傷や傷みのあるのをきれいにするには、塗装を丁寧に落とし、ヤスリをかけて再塗装する。はがした時点できれいな木目であれば、木目を残す仕上げでも良いのではないか。

ピン板はフレームの裏側にあるので、外して交換するには、全部解体しなければならない。
現在ではイトーシン(浜松・東京)という会社のみ弦の制作をしている。
弦はスウェーデン鋼という金属で作られるのが良いものだそうだ。
昔はピアノの内部の部品を作る技術が無かったので、香港(英領だった)から部品を輸入し、鉄骨に合わせてピアノを作っていた。